【一人旅】アンティグアの伝統料理
2018年2月9日
昨夜の寝入りは早かったはずなのに起床は9時半の大寝坊。
隣のベッドだったGさんは既に発っていた。色々教えてもらったので最後に挨拶出来なかったのが残念。
11時過ぎに下へ行く丁度二人が学校から帰ってきたところ。
↓リラックスしたモチ、Que bonito!
Cafe condesa で勉強。
【一人旅】授業初日に大遅刻…
ーーー Ocho Febrero Dos mil diesiocho (Jueves)
習ったスペイン語で書いてみた(ФωФ)
言えるけどスペルは初めて勉強したので、難しい。
朝シャワーを浴びてからゆっくり支度していたら部屋を出たのが11時前。
廊下で今日アメリカに戻るM君に偶然居合わせ更に遅くなったけど見送れて良かった!
まずは、昨日閉まっていたカテドラルを見に行く。
外観はド派手だけど中はシンプル。Cさんの話通りだった。
メルセー教会のように音楽は流れてないのは良かったけど、
スペインの教会のように自然と神聖な気持ちになるような厳かな雰囲気ではない。
裏にある、教会の廃墟見学。料金はVisiter8Q。
周りの観光客は10分程度見学したら出て行くんだけど
廃墟好きの私に大ヒット!1時間くらい滞在。笑
人工的な建造物に自然が侵食するノスタルジックさがたまらんのです。
天気も良く、青空とのコントラストが最高でした。
知らずに行ったんだけどこの場所は“Santigo de conpostera”というそう。
何か縁を感じてしまうような偶然だった。
そして再び十字架の丘へ。運動不足には丁度いい。
帰りにメルカドに寄り、マンゴーを1つ買った。
後で知ったのはメルカドでは1つ売りをしないんだそう。
だから怪訝そうだったのね。すみません。
この日は16時から初めての授業だったのに、
道に迷いに迷って30分の大遅刻。
アンティグア、似たような通りが多くて
迷うと現在地すら分からなくなる。
町並みはカラフルで可愛いんだけどね!
授業は楽しかった。
アンティグアのオススメのお店や先生の誕生日、孫の誕生日の写真を見せてもらった。
アンティグアでは、3歳の誕生日にぬいぐるみを釣りあげるのが伝統だそうだ。
帰り道にパナデリアに寄り歩きながら食べる。
卵ボーロのような味。
シャワーを浴びて21時前には眠りについた。
【一人旅】アンティグアの絶景とグアテマラコーヒー、それにサルサを少し。
ーーー2018年2月7日
漸くこれからの目処が立ちましたー!
どの町に滞在し、どこで学び、何を観光するか。
なーんにも決めてなくて、行き当たりばったりだったけどそれはそれで楽しんでます。
取り敢えず初日に怯えきっていたアンティグア。
2日目になると、昨日のことが嘘だったかのように慣れてあちこち散策していました。笑
銃も私たちを守るために装備しているワケだし、
セントロ周辺やカテドラル前はとーっても穏やか。
夏の手前を思わせる日差しの中長閑に過ごす人たちを見て
“治安は確かに、良い。”と結論を覆すに至りました。
その最大のきっかけとなったのはアンティグアの絶景、“cerro de la cruz”日本名では“十字の丘”です。
先週焼死体が見つかった、例の丘ですね。
程よい道のりで運動不足の体には丁度良い。
汗をかいて登りきったらこの景色ー!
アンティグアに初めて好感を抱きました。笑
日差しがジリジリと照りつけて長居するのは難しいけど
ずっと見ていたくなるような、素敵な場所でした。
その後は時計台やカテドラルを見学してもまだ時間があったので、
カフェに入り漸く“グアテマラコーヒー”とご対面。
酸味やフルーティーさを感じました。おいしい。
でも私はもう少しガツンとしたブラックコーヒーが好きかな。
Cさんと合流し、スペイン語学校Atabalへ見学へ行きました。
とても素敵な学校で、Cさんの先生も優しかった。
迷った末明日明後日の2日間こちらでお世話になり、
月曜日にサンペドロラグーナに移動することに決めました。
アンティグア、今日で好きになれたけど
1ヶ月も滞在するなんて無理!というのが本音です。
良くも悪くも都会的過ぎたのです。私にはね。
【一人旅】宿に引きこもる旅人。
2018年2月6日
朝起きると同室の二人は外出の準備をしていた。
Cさんはグアテマラシティに買い物へ、
Gさんはスペイン語学校だそう。
送り出してから私は銀行を探しに出掛けた。
ケツァルが手持ちにないおかげで、飛行機から降りて何も口にしていない。
夜ご飯も朝ごはんも、水でさえも。
ホテルを出てから気付く。
銀行も何も、マップで確認してくるのを忘れた。
街中ではスマホを出せないから、取り敢えず街を散策することにした。
街は夜と違い人が沢山いて、車通りも多く空気は汚かった。
この時点で私はアンティグアに向いていないと感じた。
町を歩いていても銃を持った人(多分警官)が沢山いるし、銀行を探しているものだから鉄格子の中の様子を確認しながら歩いていると見張りに不審がられ、ジロジロと見られる。
道中Hola!と話しかけてくれた、水道パイプ売りのお兄ちゃんに銀行の場所を聞いて両替をすることが出来た。
街中ではQue bonitoやHolaとすれ違い様に言われ、からかわれてるのか新興的なのか分からず恐怖心を煽った。
Panaderiaを見つけ、吸い寄せられたが並ぶパンはどうもおいしそうには見えずテンションは再び下降気味。
挙げ句の果てにMelcadoを見ていたら外れにあるチキンバス乗り場で不穏な雰囲気だったので何かと思えば1人の男の人が口から血を流していた。
なんなんだ。。アンティグア。。。
取り敢えず学校見学へ行くにも場所が分からないのでは仕方がない。水とヨーグルトを買ってホテルに戻った。
スーパーにすら銃を持った警官がいた。
取り敢えずアンティグアの空気を1ヶ月吸いたくないのでより田舎のサンペドロラグーナに移動することにした。
昼寝をして目覚めると17時。
Cさんがグアテマラシティから帰ってきて、夕食を一緒に食べようと言ってくれた。
夕食が出来るまでグアテマラに1年半住んでいるGさんに話を聞いた。
グアテマラよりメキシコの方が魅力的なんだそうだ。笑
夕食はネギトロ丼とかに味噌汁。35ケツァルでいただいた。食事中、カンクンにあるオススメの宿やサンペドロラグーナの付近は山賊がいることなど、情報をもらった。日本人宿ならではだよね。
Cさんにもカンクンのオススメのセノーテや村を聞いたので、カンクンよりもそちらの村の滞在も考えてる。Cさんはレンタルサイクルでセノーテを網羅してたそう。伊豆の夏を思いだし、楽しいメキシコ旅行になりそう、それに当初よりも移動の多い旅になりそう。
それからM君の話を聞いていると、色々な人がいるものだと思った。どうして彼をそうさせるのか理解出来なかったし、しようとも思わなかった。
ただグアテマラの警察に撃たれないでね、と言ったらそれより先に言うことがあるでしょうと言われた。確かに。笑
あとは火山見学が素敵(しかし凍死した人がいる)だと言うこと、
グアテマラシティの13区を歩いていたら銃をつきつけられた日本人がこの間までこの宿にいたこと、アンティグアで1週間前に焼死体が見つかったこと。
調べても出て来ないような沢山の情報があった。
日曜日に、バイクの後ろに乗ってグアテマラの色々なところに連れて行ってくれるそう。楽しみな反面、アンティグアをいつ離れるか迷いどころである。
明日はSさんとTさんが通うスペイン語学校Canoに見学へ行った後、Atabalにも見学して学校を決めようと思う。
【一人旅】再び出発。
ーーー2018年 2月5日18時25分
私は今回も成田空港から、一人旅を始めます。
利用会社はアメリカン航空。
・成田(日本)→ダラス(アメリカ)→グアテマラシティ(グアテマラ)
・グアテマラシティ→マイアミ(アメリカ)→カンクン(メキシコ)
・カンクン→ダラス→サンフランシスコ(アメリカ)→羽田(日本)
という周遊プランで18万。
心配していた乗り継ぎも問題なくスムーズに終わり、
今は無事グアテマラのアンティグアという町に滞在中。
ダラス行きの朝の機内食はスクランブルエッグにしたんだけどチーズ入りでおいしかったな~。
フライトまでも割りと順調。
相変わらずパッキングが憂鬱で家を出るギリギリまで終わらなかったことや外貨両替を事前にしてないものだから向かう途中で行ったり、後は普段バイトへ行く電車と変わらない程ノーマルなテンションで成田に向かっていたのは順調とは言えないかもね。笑
不思議とワクワクと不安が半分こで~!なんて気持ちではなかった。
ダラスでメキシコ方面の飛行機に乗るときにESTA申請したのに大分時間がかかって、ぼんやり待ってたらスペイン語圏の人があなたは多分あちらに並ぶんだよと教えてくれた。多分どちらでも行けたけど優しいよね。
検問でスペイン語を知りたいから行くと話したら検察官がいきなりスペイン語を話し初めて、久し振りのスペイン語だったから戸惑っているとComidaは食べ物って意味だよと教えてくれた。
スペインでCeliaにお腹空いたと言ったら教えてくれた単語だった。
ComidaComidaと繰り返し言っていたらRocaと笑われた。
ずっと前に感じるのに、あの毎日は簡単にフラッシュバックしてみんなを恋しく思わせる。
左手のブレスレットを見る。
Caminoでお揃いで買ったブレスレット。
みんなはまだつけているのだろうか。
グアテマラに着いたら、治安の悪さを見に染みて感じた。
寄ってくる物売りやジロジロと人を見る眼差しが怖かった。
タクシーの運転手は気さくで、かたことのレベルにも達しないスペイン語で話しかけたら答えてくれた。
アンティグアまでどれくらいかかるか?
外貨両替をしたいが銀行は何時に開くか?
聞きたいことはここで聞けた。
グアテマラは夜景が綺麗だった。
キラキラ光る町並みに人はいない。
店には強盗防止の鉄格子がある。
アンティグアに着くとここでも町並みの綺麗さに驚いた。
道路は石畳でぼこぼこのせいか、15km程しか出せないみたいだった。
ペンション田代に着くと田代さんが迎えてくれた。
「時間通りに来ました?珍しい」
一般的な日本人よりは多少テキトーな私だけど
海外にいると嫌でも日本人だと認識することがある。
私は1ヶ月やっていけるのかな。
やっとここに来てワクワクしてきた。
部屋へ向かうとペンションには99%が日本人。
あれま。と少しがっかり。
でもホームステイに切り替えれば問題なし。
同室のCさんと話してグアテマラのことを教えてもらった。
「向日葵の咲かない夏」を読み終えて、眠りにつく。
ーーーいつだってそう。みんなそうだ。都合の良いことは強く記憶し、忘れたいことには理由を重ねて正当化する。
主人公のミチオ君の言葉がなんだか忘れられずに私の中に留まったままだった。
【一人旅】また道路に寝っ転がっちゃいました。
ーーー2017年 12月 14日
Arzua~O Monte do Gozo【34km】
この日は私にとって特別な日だった。って言っても毎日が特別な思い出がある(ロマンチストな訳ではなく、本当に毎日が濃い)から、この日に限ったことではないんだけど。
でも最後の方にみんなで話した、“このCaminoであなたにとってのベストモーメントはいつ?”という質問に答えるとしたら、私はこの日を選ぶ。
Arzuaのアルベルゲで目覚めた。確か、隣の隣のベッドで寝ていたHanがゴソゴソしていて起きたんだと思う。
そういえば、寝ている最中に隣で寝ていたCeliaに蹴られたのは気のせいだったのかな?笑
いつも通りゆっくり支度をして一階のスペースでパンに蜂蜜をかけて食べていたらみんながだんだんと起き始めた。
クリスチャンとスンヨルはいつも早く起きる。私が蜂蜜をこぼしてわたわたしていたらクリスチャンが笑ってた。この日一日髪の毛はべたべたで、蜂蜜のにおいがした。笑
起きていたはずのみんなが見当たらないのでスンヨルに聞くと、向かいのBarで朝食をとっているという。私たちも行くことにしたけど、まだ私の準備が終わってなかったのでスンヨルに待ってもらいながら準備を進めた。この時に、母からディズニーの優待チケットを取れるから、ランドとシーどっちが良いかと聞かれていて、傍にいたスンヨルに、もし行けるとしたらどっちに行きたいか聞いた。この時はまさかスンヨルと一緒にディズニーに行くとは思ってなかった。笑
(Euncheに痛み止めクリームを借りに行ったり、日記を書いたり)でも日記は中々進まないので諦めて、スンヨルとエスプレッソを飲みにBarへ向かった。席に座ると向かいの席でステファンがクロワッサンを食べていた。あ~会話とか、思い出せないな。
でもマリアとBarの店員さんのやりとりは覚えている。この後ウンチェと言う女性が来るから、彼女はカフェコンレチェとトーストを頼むだろう。だから先に払う。みたいなことを言っていた。マリアの予言通り(笑)Euncheはカフェコンレチェとトーストを頼み、ラクエンタの時にマリアが払ったと聞かされ驚いていた。
私もラクエンタを済ませようとすると、スンヨルが既に払っていた。みんな先に払ってくれる日なのかな。笑
ステファンが席を外した後、向かいの席にはCeliaが座っていて、彼女は帰りの予定がみんなより早いから今日中にSantiagoに着きたいと言っていた。あまり長距離を歩く印象がなかったし、持病のテンドン?が悪化しないか心配だった。それにここ数日彼女とずっと歩いていたから最後まで一緒にいたかったので私も38km歩くことに二つ返事で了承した。
いいよ、38km歩こうと言ったら嬉しそうにしてくれた。
それから店員さんがここからSantiagoまでは平たんな道が続くからもう楽勝だよ、38km残ってるけどへっちゃらだよ。みたいなことを言ったらしく、マリアが今日中にSantiagoに向かうと言い始めた。レオンに行く前に私とひかるが40km歩くといったら、“Oh,Japanease Girl”なんて言ってたけど、Santiagoを目前にしてか、彼女のテンションはおかしかった。笑
そんなこんなで結局みんなでSantiagoを目指すことになった。
出発はゆっくりで、9時前後だった気がする。すっかり周りは明るくなっていた。
このスタート時間で38kmは無理だろうなぁと少し思っていた。
スタート時間からも分かるけどなんとなくゴールが近付いて気が緩んでいたと思う。
私も、今更気を引き締める気はなかった。笑
Hanと一緒に写真を撮って、歩き始める。
この頃はPortmarinの夜のことでHanとあまり話してなかった。笑
ああ、もうどんな道だったかところどころでしか思い出せないな。
一緒に歩いていたCeliaとの会話も思い出せない。
だけど14時ごろに着いたBarにみんなが丁度出発するところでわいわいしていたのと、
私が二人分のビールを頼みに行った時に瓶がグラスかで迷っていたらCeliaが注文を済ませてくれたのは覚えてる。
基本的に道中はバラバラで歩いているんだけどこの日に限ってみんながどこにいるのか
把握できない事態になっていた。
それぞれの情報(〇〇は今~しているらしいとか)を照らし合わせたり、kakaotalkから場所を推測するしかなかった。
17時頃に私とひかる、CeliaとHanという黄金4人組でO Pedrouzoという村にいた。Hanはこの村に既に到着しているSushimen、ステファンと合流し、Pedrouzoに滞在すると言っていた。マリアもこの村にいるという情報から私たちも彼らと合流して食事を取ることにした。入ったレストランではColaCaoを頼んだんだけど、スタッフと意志疎通が出来なかったな。笑
Han曰く、この村にマリアはいないしEunche達はSantiagoを目指して今も歩き続けているという。ここからSantiagoまでは18kmあるし、4時間以上歩かなければならない。そうすると、到着は早くても21時。でもCeliaは最後の夜だし、みんなと一緒のアルベルゲにいたいだろうな。うーん、絶体絶命。
結局3人に見送られ、足早に歩き始める。雨はすっかり上がって虹が出ていた。
歩いていると、後ろからHanが追いついた。前の村で滞在するのではなかったのかと聞くと、その予定だったけど心配だったからコリアンガイ3人組で話し合った結果Hanが一緒に着いていくことになったそうだ。
本当にみんな優しいなと思った。英語は話せないけど、本当にありがとうと伝えると緊急の時こそ自分のペースを忘れてはいけない。また足を痛めてしまうから。と言ってくれた。この時のHanは少しシリアスで、本当は前の村に滞在したかったんだろうなって思った。でもこのトラブルのおかげで私は忘れられない日がこの夜になった。
この日は雨が降ったりやんだり。道路は濡れていた。
Hanが、私たちが初めて出会った日は道路に寝そべって空を見たよね。と話した。
今夜の星空もきっと寝転んだら綺麗だろう。でも今日は道路は濡れている。と。
でも私は寝転んでみたいと思い気にせず寝転ぶと
みんなも結局道路に大の字になって、ヘッドライトを消して20分くらい寝転んでいた。笑
特に喋るでもなくぼーっと見上げていて、丁度目を反らしたとき私以外の3人が歓声を上げた。流れ星を見れたんだそうだ。
私が心底悔しがっているとひかるとHanが励ましてくれた。
Hanに関しては、昨日私は君たちが見た流れ星を見れなかった。昨日の私と一緒だと。
ええ?私たち4人一緒に流れ星見れたぁ!って肩を抱きながらぴょんぴょんはねて、喜んでたのに、あなた、見れてなかったんかい!と。衝撃的事実が発覚した。笑
そうして笑いながら丘を登ると眼前にはSantiagoの夜景が広がっていて。Celiaとひかるが“Porfin~!”って叫んでいた。感動的だった。4人で見れたのが良かった。
いつも歩くのが遅いって、最後尾を歩いていた4人で(Hanとひかると私は特に遅い)。でも私たちはその分美しい景色を長い間見ることが出来ると話していたが最後の夜もまさにその通りだった。
また雨が降り始めた。だけど全然気にならないくらい最高の気持ちだった。
Hanと初めてあった時、私たちは4人で歩き道路に寝転がり青空を見上げた。そして車に轢かれそうになって、“Coche!Coche!”と慌てて起きた。
Santiagoまでの最後の夜、私たちは4人で歩き道路に寝転がり星空を見上げた。そしてやっぱり、“Coche!Coche!”と慌てて起き上がった。
トラブルの続いたシチュエーションで最後の夜がこんなに特別になるとは思わなかった。
結局その後私たちは21時過ぎにSantiagoの1つ手前の村、O Monte do Gozoにマリアがいると分かりそこに泊まることにした。
EuncheたちはSantiagoまで歩ききり、明日の朝合流することになった。
アルベルゲの外からクリスチャンとマリア達を見つけ、窓越しに会話する。
ここにはマリアとクリスチャン、ジョアナ、マッシモ、エテムの5人がいた。
ひかるとHanはEuncheたちのアルベルゲまで歩く予定だったけど、時間も遅いしGozoに泊まった。
アルベルゲに入るとオスピタリオが“もっと早く来てよ、冬なんだから、分かってるでしょ”と切れていたらしい。笑
夜はみんなの持ち合わせで食事をしたけど、最後の最後で食料も少なく、ひっそりとした晩餐だった。Theペレグリーノの夜だね、なんてひかると話した。ひかるはこの夜が地味にお気に入りらしい。笑
ベッドではHanがクレデンシャルにオリジナルのセジョを書いてくれた。
あと4kmでSantiagoに着く。とても変な気分で眠りについた。
【一人旅】日本からFranceへ。中国でぼったくられた話やエッフェル塔で怖いお兄さんに話しかけられた話。
ーーー2017年 11月 15日 15時15分
私の人生で初めての一人旅は成田空港からスタート。
中国の北京空港で乗り換えて、FranceのCharles de Gaulle空港に向かうフライト。
行きも帰りも乗換も、全てAir Chainaを利用しました。トータル7万円。安い!
今考えるとよく行ったなぁと思うほどな~んにも考えていなかった。笑
言葉が分からないことで何に苦労するのかも全く分からず、
「~について、不安だな」というような危険予測すら出来ない状態だった。
親が心配するのも無理はないよね。
Air Chainaは基本的に電子機器は一切NGなので機内では何もすることがない。
私は「螢」というサスペンス系の文庫本を持って行っていたので退屈はしなかった。
曰く付きの建造物マニアサークルの大学生たちが、未解決の殺人事件の現場である館に合宿し、次々に死んでいくみたいな話。
結局18時間のフライトでは読み切れなかったけど世界観が素敵な本でした。
その本はSpainのEspinalという村のcasaに置いてきたので、Caminoに行った日本人が見つけてくれたらいいな。笑
北京までは3時間くらい。隣に座っていたのは中東風の女性でひたすら何かを食べていた。
北京に着いて、中国入国の検査に1時間半くらいかかったんじゃないかなぁ。
次のフライトに間に合わなくて焦ってる人も結構いた。
一方で私は待機時間が8時間くらいあるのに、下調べで北京空港のWIFIは繋がらないと知っていたのでぼんやりする予定だった。笑
まあ物は試しとWIFIの機械をぽちぽちしてたら中国人に話しかけられる。
そのお兄さんはWIFI繋がったのに私は繋がらず、何でかなぁと会話していたら
僕の携帯の電波使いなよ!と親切にしてくれた。そのまま2時間くらい喋ってた。
お兄さんはこれから3ヵ月ほどオーストラリアに留学に行くんだそうだ。
私は全く英語が出来ない。
大学入試の英語の偏差値は34で、それ以外の科目で大学に行ったものだから英語は中学1年生レベル。
彼も英語が出来ないらしく恐らく中学3年生レベル。笑
私は中国語を少し書ける(幼稚園児レベル)ので、最初はそれで筆談していたが
彼がGoogle翻訳アプリをインストールし、以後はアプリを通して会話していた。
そこでGoogle翻訳アプリを知ったんだよね。
こんな便利なアプリがあるのかと。これで言葉の壁は問題ないなと思った私を殴りたい。
でもないよりは良いです。念のため。
そういえばお兄さんに出会う前に、中国麺が食べられるお店で少しぼったくられた。笑
空港内を探検し終えて入ったお店でチキンヌードルと中国茶を頼んで出て来たヌードルにちょっと違和感があった。
ん?写真と違うなぁと思いつつもメニューを眺めていたらその店で一番高い鴨肉ヌードルだったんだよね。
10元くらいかな?笑
でもおいしかったから、ありがとう。
ながーい待機時間が終わっていよいよParisへ。
自分がParis行きの飛行機に乗るなんて考えてもみなかったよ~。
とかって考えてる余裕がないくらい体が冷え切っていたので、我先にと搭乗。
我先にって言っても中国人の「我先に精神」に適うはずもなく、普通に抜かされてたけどね。笑
今回の旅で1番寒かったのは間違いなく北京でした。
中国ではないけど韓国の友達に聞いたら、マイナス何度が当たり前だから帰国が憂鬱なんだって言ってた。
そんなイメージがなかったからびっくり。そう考えると日本は過ごしやすいね。
今回は中国人の男性が隣。一見むすっとしてるんだけど本当に優しかった。
CAが機内食をどっちにするか?って聞いてきたときに私が理解が出来ず困っていたら
彼女に実物を見せてやってくれと頼んでくれた。
どちらにするか聞いていたのは「おかゆ」か「チャーハン」だった。
そりゃ分からんわ。笑 と思ったけど彼が頼んでくれなかったら理解できずにそのままだっただろうな。
それから飲み物とかCAが聞きにきたときに私の代わりに頼んでくれたり。
不愛想なんだけど優しいんだよね。中国の人って。
大学1年生のときに中国語を少し履修してたから、「珈琲」のことをカーフェイというのは知っていたので、こんなところで役に立つものだなぁと。
多分知らなくても困らなかったけど、
語学ってくだらないことでも知っていて無駄にはならないってこの時に実感した。笑
朝6時頃に到着予定だったんだけどなんだかんだ遅れて、
結局空港から出たのは8時前くらいだった気がする。
↓Charles de Glue空港を出てすぐのバスターミナルから、Parisの朝焼け。
それでルーブル美術館前を散歩したり、凱旋門に登る、エッフェル塔と写真を撮る、
パン屋さんを巡る。とかっていう夢のような予定は消えた。
この後はMontparnasse駅からBayonne駅まで特急列車で移動する。予約したのは12時発の便。
下調べによるとMontparnasse駅には唯一ロッカーがあるみたいなので、
取りあえずMontparnasse駅に向かうことにした。
そこらへんに止まってるバスに乗り込み、Montparnasse駅に行くかと聞くと、
行きますよ、そうしたらMontparnasse駅までは18€ですね。と。
バスの運転手さんの発するフランス語は素敵だった。
フランス語が美しいってこういうことかって。
アナウンスとかではなく、私に向けられた初フランス語はバスの運転手さんからでした。
朝の渋滞もあってMontparnasse駅に着いたのは9時過ぎ。
35LのリュックをParisの街中で背負ってたら目立つのは明白だったのでロッカーにいざ行ってみたらクローズ。
これで凱旋門に行く選択肢はなくなった。
凱旋門は大きい荷物の持ち込みがNGなんです。一番楽しみにしていたのに。
仕方なくエッフェル塔に歩いて向かう。(贅沢な選択肢だな)
やっぱり目立つみたいで駅裏のちょっと雰囲気が良くない通りでガラの悪いお兄さんに話しかけられたけど、イヤホンしていたのでそのまま気付かなかったふりでスルー。
多分40分程度で行ける道を迷いに迷って1時間半くらいかけてエッフェル塔に辿りつく。
あんな分かりやすい建造物、すぐ分かるでしょ~と思っていたけど案外Parisの建物は高いし似たような道が沢山ある。
でもおかげで映画で見たSeine川沿いを散歩したり、素敵なパン屋さん(Patisslerと書いてあるけど)を発見したり。
そのパン屋さんではフランスパンとショコラテを買ったんだけど、どちらも本当においしかった。
エッフェル塔に着くと、写真スポットには黒人のお兄さんの集団がタンバリンのような形の鈴をシャリンシャリン鳴らしながらウロウロしていた。
人は見た目で判断してはいけない。人は見た目で判断してはいけない。と心で唱えたけど普通に恐怖心は拭えず。
写真スポットからすぐに離れて麓へ向かおうとすると2~3人の黒人のお兄さんが話しかけてくる。withシャリンシャリン(何でこの人達鈴持ってんの?)
聞こえないふりして足早に立ち去りました。
恐らく写真撮ってあげるからお金チョーダイって感じなんだろうね。
普通に撮ってもらって、お金払ってる観光客もいたから悪いことではないんだけどさ。
満足してMontparnasse駅に戻る途中にふと気付く。
France来たのにワイン飲まずに、こりゃいかん。と。
近くのレストランに入って白ワインとサーモンのタパスを頼んだ。
↓外観
↓内観
そうしたらここで問題。
疲れていたのか2口くらいでふわふわ~。酔っぱらってしまって全然お酒が進まない。
もたもたしていたら11時40分。そう、ゲートが閉まるまで残り20分。
ふわふわな頭でまたこりゃいかんとマップで調べたらここから徒歩で30分かかる。
下調べではジプシーがどうとかでメトロは乗るな!なんて記事を見ていたので
メトロを使う予定はなかったんだけどそうも言ってられず
近くに合った駅に潜り込む。だけど券売機の仕様が日本とは全く違って分からない。
呆けた頭で駅員さんを呼んで切符を買ってもらう。
Merciと言って別れるも、Montparnasse行きのホームが分からず教えてもらった。
でもフランス語だったからなんとなくの方面しか理解出来ず、
近くにいた人に確認したけど観光客だったようで英語が分からないと断られてしまった。
次に聞いたおばさんも同じく観光客。でも手に持ったマップで確認して、
そうね、これはMontparnasse駅に行くみたい。と教えてくれた。
なんとかメトロに乗りMontparnasse駅に到着。おそらくゲートの閉まる7分前とか。笑
でもどこで乗れば良いのか分からない。泣
アクシデントウェルカム精神の私だけど流石にあと7分には焦りまくり、
またあちこちで聞きまわってなんとかゲートが丁度閉まった時間に到着。
ギリギリセーフ、危なかったねって開けてもらった。
最後に道案内してくれたおじさんはまた僕に会いにここへ来てね、アジアンガール。って。Franceっぽいね。笑
Bayonne駅までは4時間くらい。本を読んだり日記を書いたりして過ごした。
到着したのは16時だけどSaint Jean Pied Port行きの列車は18時。
川のほとりにある町で夕焼けが綺麗だった。
街を散策して、満足したので駅に戻る道中の橋の上。2人のマダムの後ろを歩いていたんだけどなんとなくいいなぁって。
日本のマダムとは少し違うね、人によるんだろうけど。笑
いざSaint Jean Pied Portに向かう列車に乗るためにチケットを買おうとするも、よく分からん。
駅員さんに尋ねたけどやっぱりフランス語。滑らかに頭を通り抜けて微塵も理解できない。そして英語を話せる人はほぼいない。
英語苦手なのに、CAや券売機などに「何の言語?」って聞かれて英語を選択するなんて考えてもみなかった。まず日本語っていう選択肢ないもんね。
駅員さんの話によると電車はストライキで今日はないから、バスで向かいなさいと。
ほえーーー。聞いてよかった。知らなかったら私、Bayonneで一泊するところだったよ。
バスも18時発。3時間程揺られて漸くCamino de Santiagoのスタート地点に辿り着く。
時刻は21時。計算してないけど大よそ30時間くらいの移動時間だったと思う。
よく分からない広間に降ろされたけどどこに向かえば良いのやら。
日本人カップルが迷いなく進むので後方から付いていく。
途中になんとなく事務所っぽいところを見つけて入ると、当たりで2人のおばちゃんが迎え入れてくれた。
ようこそ~!と韓国語の案内を渡された。違います。日本人です。と言うと英語の案内を渡される。
やっぱり日本語、ないよね。笑
事務所でアルベルゲの場所を聞いて手続きを済ませる。
二段ベッドの上だったんだけど下のフランス人の女性と声の大きいお爺ちゃんが暫く喋っていたのを覚えてる。
この声の大きいお爺ちゃんとこの後色々あるなんて思いも寄らず。笑
すぐにシャワーを浴びてマイブームだったyeyeを聴きながら眠った。
これから40日毎日お世話になる寝袋さんの寝心地は最高でしたとさ。